北米留学記

H橋大経済学部3年。米国ミシガン大学 (The University of Michigan) に1年間の交換留学中。

グローバルリーダーとは

 

 

「グローバルリーダー」

 

大学に入学してから、何度この言葉を耳にしたかわからない。自分が参加したプログラムなどではこのスローガンが掲げられていることは少なくなかったが、個人的には、この言葉には強烈な胡散臭さを感じていて、自分から使うことはない。 とはいえ、これを合言葉に、莫大な国家予算が動いているのも事実である。一部をいただいて勉強させてもらっている身として、少し、この言葉について考えてみたいと思う。

 

この「グローバルリーダー」という言葉を聞くと思い出す人がいる。彼が、「自分の描く理想的なグローバルリーダー」という訳では決してないが、少なくとも、彼に少し興味を持ち、少し調べ考えをまとめていく中で、このスローガンに含まれている一つのエッセンシャルな要素を、彼から学ぶことができるのではないかという考えに至った。

 

田村こうたろうという人だ。元参議院議員で、今はシンガポールで財団のマネージャー、兼ネットワーカーとして生きているようで、著書や講演も探せば多数出てくる。彼はSNSでの露出が多く、友人にも何人かファンがいて頻繁にシェアするため、よく発言が流れてくるのを目にする。ここで具体的な引用は避けるが、主に財界・政界・アカデミアの有力者に会った感想・伝聞や、自分が日本に対して感じていることなどを、比較的簡潔にまとめて書かれているように思う。特に娘への愛情が強く、その関係性もあってか、教育への提言などには特に熱がこもっているように感じる。

 

だが、読んでいると、「日本人」には拒否感・拒絶反応を持たれる可能性が高いだろうとすぐに感じた。理由は二つで、1. 自慢・自己顕示が含まれた投稿が多い。2. 日本で生活している日本人にとっては耳の痛い話が多い。からである。自慢や自己顕示は、日本文化では特に忌避されているものの一つだ。謙遜が美徳である上、特にSNS上に自分のことを書き連ねるのは、特に40, 50代であれば非常に白い目で見られることは間違いない。また、日本のマーケットの将来、現状の問題点などを指摘していくが、当事者からすると、「わかっているけれども自分ではどうしようもないこと。」が多いのではないかと思う。そこで調べてみたところ、驚くほどバッシングの記事があってびっくりした。特に政治家時代の話が多く、その多くは、「考えがコロコロ変わる」「信念がない」「芯が通っていない」「SNSに書きまくるのは女々しい」といった類のものであった。

 

また、現状に関しても、「外国かぶれ」、「自己顕示欲」などと並ぶ。正直納得ではあった。多くの日本人は(というよりも人間は)、首尾一貫性や、信念を持ってまっすぐに生きる人を尊敬するし、そうでない人を忌み嫌う。特に、政治家や評論家など、他者に対して意見を述べるような立場の人に対して求められる一貫性の水準は非常に高いと感じる。

 

結局彼はその基準を満たせず、政治家としてのキャリアを終え、現在の立場に転身したのであろう。今の投稿からは、政治家であった過去はあまりわからない。むしろ、政治からは距離を置いた発言が目立つ。例えば、先日の投稿では、「政治よりもテクノロジーの方が大事だ。」と発言していた。ではなぜ政治家だったのかとも思うし、おそらく批判されていた頃と、考えが変わりやすい本質は変わっていないのだろう。

 

だが、私は個人的に彼に対して、幾らかの好感を持っている。自分が彼を評価するような立場にいないことはわかるのだが、そう感じる。

 

なぜならば、彼は自分の価値観が変わるような刺激的な環境に、40,50を過ぎても身を置き続けていること、そして、その変化を受け入れることができる柔軟性を持っているからである。そして、発言の内容よりもむしろ、良くも悪くも素直に、その自分の変化を受け入れ・同時に表現し続けていることに、自分は共鳴していて、少しばかりの尊敬を覚えているのだと感じている。

 

意外と人間は、自分の価値観が変わるような変化を嫌う。

また、年をとるほどその傾向は強くなる。自分も、アメリカに来て価値観が少し変わった後、自分のいたコミュニティにいる人たちとの価値観の違い、また価値観のズレから生じたであろう排他性を感じ取って辛くなったことがある。少なくとも自分は、来るべき変化を受け入れる、素直で柔軟な感性を持った人間についていきたいと思っている。もちろん、他の要素も重要ではあるが、頑固であるとどうしようもない。

 

いつか、どこかでお会いすることができたらいいと思う次第である。